先日、
肝心な時に
ベストを選べるかどうか?
という話をしていました。
親の介護という選択において
限界かどうかの瀬戸際。
あるいは
子どもの入試直前
しんどい時だけど
とても大切な授業もあって
学校を休むかどうか。
今の選択が
長い将来を決めるとしたら…
きっと誰だって
外したくない。
そして
選択は容易じゃない。
どうするか?
いざという時に
どうしたら
後悔のない方を
選べるのか?
その時は
答えが出なかったのだけど、
あとから
当たり前だな。
と自然に思えたその答えは
肝心な局面の選択は
日常の選択の
繰り返しの成果だということ。
毎分のように
日々何万回も繰り返している
ごく個人的で些細な選択から
常にベストを尽くしているのか?
というところに尽きる
と思うのです。
例えば、
いつも言うのは
トイレは行きたい時に行く!
これができない人は
幸せではあれない。
(私は「トイレ行きたい」が言えない子でした)
体の欲求を満たす事は
幸せのための初めの初めの一歩。
寒かったら暖かくする♡
例えば,
子どもが小さい頃から
ずっと言い続けていたのは
〇〇でいいやー
と選ぶのではなく
〇〇がいい!
とベストを選んでね。
という事。
消去法の生き方は
そこそこでしか
満たされない。
そこそこ満たされる人生
でいいのかな⁈って事。
自分の愛する人が
「そこそこ幸せな程度の人生でいい」
と言ってるとしたら
どう思うか?って事を考えてみてほしい。
少なくとも私は
幸せいっぱいの人生を送ってほしい。
自分の事以上にそう願う。
私たちは
言葉で自分を誘導しているから、
言葉の使い方って
本当に大切なのですよね。
話しは逸れるけど、
最近氣をつけよう!
と思っているのが
品よく話そう、
と言う事です。
特に自分の脳内で。
男の子ママを引きずって
男っぽい話し方が板につきすぎて
(要は口が悪い)
もうすっかりいい大人なのに
恥ずかしいことだわ、
を省みております…
話は戻って、
毎日の些細な選択から
見直していけば、
いざという時も
後悔しない。
毎日が本当の
心地よい感覚をベースに
行動できてたら
いざという時への
安心の貯蓄にもなるんだよね。
私は今
絶対に我慢しない
という事のトレーニングをしていて笑
痛い目にあって懲り懲りして
もう我慢しないぞ
って思ったのに、
実は懲りてなかったみたいで
無意識のうちに
もっとひどく我慢してた
という経験があって、
深く反省して三度目はないからね!
って戒めてるところです。
この「無意識」ってのが
クセモノで、
だから意識にあげることが大事で
忘れないように
言葉で耳から入れるように
事あるごとに誰にでも
「私は我慢しないトレーニング中」
って伝えてます。
そう言うのも大事◎
とにかく
細かく日常を満たしていくことが
すべてって感じてる◎