当たり前の事なようで
みんな忘れがちな
私達はどう生きるか
自分で決められる
って事。
ありがたい事に
決められる!
特に今の時代、
この日本にいる私たちは。
ほぼ
もう既に決められてる
って人はいない。
なのに
決められてると
頭が勝手に決めつける。
だけど、
病氣の時ですら、
どうしたいのか、
どう生きたいのか、
問う事で先が開けるし、
問わずにいれば
頭が考えた通りになる。
いや、どっちにしても
頭が考えた方になるんだけど、
そこにちゃんと
自分の意思が乗ってるかどうか。
なんだなぁー
(長男が母の日おめでとう!と送ってくれた鈴懸の最中♡おめでとう!ではないんちゃうかな笑笑)
私が
初めてがん告知を受けた時、
すぐそのまま治療の流れの説明があって
医師からの問いは
いつから始めますか?
のみ。
治療の選択肢はなかった。
だけど、
そんなはずない。
聞きたいことが聞けてない
と思ったから、
いろんな病院で
いろんな医師から話を聞いて、
その結果で
日常から整えていこう
って自分の意思がはっきり見えてきた。
最初からどうしたいって
明確にあったわけじゃない。
いまもそれは続いていて、
誰かや、
何かと出会って、
自分に問いが生まれる。
そして進んでいく。
その繰り返し。
心の強さではなく
自然なことかな?
って思うんだけど、
どうだろうか。
転がってくボールが
何かに当たって
方向転換するような感じ。
ただそんな感じ。
告知されて
がーん
ってなったって構わない。
ただ、焦らなくていい。
一刻を争うような病氣じゃないんだから
落ち着いて考えられるまで
待ったら良い。
ただ、そう言ってくれるお医者さんが
いたら、
救われると思うんだなぁー
そして
疑問に思う心に
蓋をしないって事も
大事なんだよなぁ。
不快を無かった事にしない
って事と同じかなって思う。
お腹いっぱい食べ過ぎる
って毎回してるなら
どこかで
不快なほどの満腹感に氣付けてない。
あ、私です。
不快な程の満腹感。
食欲に任せて、
頭が太りたいって思って
暴走してましたわ。
体の声聞きながら
ゆっくり食べよ。