2024.08.04

癒える

癒える

クライアントさまとのやり取りから

 

経験を話す

ということが

誰かを癒すことがある。

 

同じ思いをしている人たちが

励まされたり

勇氣付けられたり

赦されたと感じたりする。

 

ただ話すことが

相手に何かを感じる機会を

与えている。

 

逆に言うと

話さない事は

その機会を奪っている

とも言える程に

経験した内容が

大きければ大きいほど

影響力を与える。

 

私は元々

相手のそういった反応を

受け取る器がなくて

自分のことを

話さない事が多かったけど

今はこんなふうに考えていて

 

ブログに書くのもそうだし、

必要なときに

クライアントさまにお話ししたりします。

 

生きていると誰でも

いろんな経験をするし

皆それぞれに波瀾万丈だと

思っている人が多いように

思うけど、

 

そういう経験を

血肉にしていく事が、

大変なだけでない

より良い人生を創っていくのだと

思っています。

 

血肉とはすなわち

その時の思いが昇華したとき

いつか何かの

あるいは誰かの

役に立つことではないかなぁ

 

辛いことを

塞がずに感じ切って

いつか乗り越えた先に

誰かに語れるくらいに

ゆったりと受け止められるくらい

丁寧に自分で自分の話を

聞いてあげる

そんな時間が必要。

 

逆に

どうしたらいいのかと

四六時中自分の人生について

思い悩んだり、

 

考えないようにと

闇雲に日常に没入したり

あるいは発散させたりして

自分と向き合わずに避けていると

 

「血肉にする」ことからは

遠く離れてしまう。

 

あんまね、

ああでもないこうでもないと

考えるのは、

感情に蓋をするのと同じくらい

不毛です。

 

それよりも

日常の中で

美味しいお茶をゆっくり飲むとか

きれいなお花や緑をみるとか

氣持ちいいお風呂に入るとか

そういう事を大切に

「感じる」方がずっと良い。

 

そして時折

その辛いことを

あぁこんなに辛いんだね

そんなふうに悲しいんだね

とただ聞いてあげる。

どうしたらいい?と解決しようとしない。

 

シンプルに戻る。

 

シンプルに生きる。

 

そうしていると

本質から逸れないで

辛かった経験がいくらか昇華されて

穏やかな日常を取り戻し

いつか何かの役に立つ経験となる