村社会ダイキライ

典型的な核家族で育った私は

近所付き合いや

友達付き合いも

親戚付き合いも

ほとんどしないような

両親に育てられました。

 

それが当たり前だったから、

村社会で代々

受け継いできた家系の

主人と結婚した時は

互いに、外国⁉︎ってくらい

カルチャーショック。

 

味噌が大豆、米から育てて手作りとか

自家製の米や野菜が届くとか

おはぎが手作りのもの

(もちろん小豆と米の栽培から)

なんて、心底びっくり!!

 

全部買ったものしか知らない!!

 

しかも人の出入りが尋常でなく

開けっぴろげなのもあり、

玄関に限らず、

キッチン横の窓から、

裏の勝手口から、

家族用玄関から、

表玄関も、

どっから誰が入ってくるか

わからない。

(野良猫が走って逃げたり、

燕が飛んでたこともあった)

 

早朝から深夜まで

好き放題突然誰かが入ってくる。

喋りにきてるのか、

何かを持ってきたのか、

目的もわからない。

 

当時の世間知らずの私からしたら

まったく氣の休まらない

とても恐ろしい家だったww

カルチャーショックすぎて

泣いてたこともあったww

 

若かったのもあって

最初は抵抗して、

プライバシーないってどうなの

失礼だなぁ

なんで許してんの⁇

それもイヤ

って理解できなかったし、

 

野菜は買った方が便利じゃない?

とか

手作りおはぎってなんか見栄えが…

とか

手作りのあれこれも

美味しいとさえ思えなかった。

 

いずれはこんな田舎で私も

ガチャガチャと住む時がくるなんて

考えたくもなかったし、

想像もつかなかった。

 

これが一番避けたい事だった。

 

だから

米も野菜も手作りも

全部避けたかった。

 

そんな20代前半でした。

 

 

それが今や、

こっちが私にとっての自然。

としっくりくるくらい

180°、物の見方、住む世界が変わった。

 

柔軟性があったとか、

時間と共に馴染んだ、

というよりも

私の魂が

そういう環境の人を選んで

結婚したんだなぁ

と感じています。

 

自分で育てたり

作ったりしたものを

食べてるって

この上なく贅沢だし、

 

人の出入りが賑やかって

すごくいいなぁって思う。

 

そんなふうに

安心できる自分の世界を

作ることができた。

 

そう、昔は

新しい世界に

安心できなくて

不安でしかたなく

全部に抵抗していた。

 

私は年齢を重ねて、

親になり、

社会も大きく変わった。

 

いろんなことが

時間と共に

変わっていく。

それはとても美しいことだと思う。

 

造花よりも生花が美しいと思うのは

生花には命があるから。

(満開になった和バラの横でチリチリに枯れた葉っぱ)

 

枯れたり、

蕾が咲いたり

咲かなかったり、

(蕾は咲いたけど花びらが育ってなかったね)

 

様々な変化は

命あるものだから。

どんな命も、美しい。

 

私自身が、

 

生まれ育った環境が

必ずしも自分に合ったものとは

限らない。

 

という実例です。

 

 

親はもしかして

子どものことを

ほんとに何も知らないかもしれない。

 

子どもは

本当の自分に

まだ氣づけてないかもしれない。

あるいは

まだ認められていないのかもしれない。

 

それらも

たくさんの人と関わることで

超えていけることだと思う。

 

 

 

新しい村社会のような

コミュニティを作って

暮らしていきたいなって

夢があるなんて、

 

若い頃の私に言ったら

吐きそう笑笑

 

たくましくなった

51歳の私は

そんなことお構いなしに

 

若い頃って世界が狭くてかわいそうやなー

たくましく生きろよ!

 

とか言って

夢の暮らしを語り続けるんだ笑笑

 

 

未来的・村社会

素敵なお花をいただきました。

秋のお花がいっぱい!

コスモス、見たいなって思ってたのよ。

幸せーーーー

生の花?

 

え?造花⁇

 

見る人見る人

そう言うもんだから

え?生花だよね⁈

って私が心配になる。笑笑

 

生花です!

和バラがかわいい♡

ペンペン草とか

紅葉した葉っぱ、

鶏頭も秋色。

いろんな花や実や草や枝物。

ごちゃまぜが最高。

 

 

 

 

将来的に

こんなふうになったらいいなー

って思う社会の形があります。

 

それは

氣の合う人たちが

助け合って

いろんな年代もごちゃ混ぜで

生活する、というもの。

 

血のつながりにとらわれない、

心のつながりのコミュニティ。

 

で、課題になるかなと思うのが

女性は特に

手助けするよー

って人はいっぱいいるけど、

助けてーーって

すぐ言える人はなかなかいないのでは

ということ。

自分で頑張っちゃう。

頼る境目を判断するのが

なかなか難しいんじゃないかな。

 

私は今、

助けてーって言って

助けてもらってばっかり

というのを体現させてもらっていて、

 

ありがたいことに

助けてって言えば

いくらでも

助けてもらえる環境にあるから、

それを受け入れるように

自分を許して許して許していくことが

大切だなって

思っています。

例えば子どもも、

誰かが育てたらいいって

なったら

すっごく良いと思う。

 

どんどん産んでねー

私ら面倒見るから

って。

そんな信頼関係が

若い人たちと築けたら

最高だな!って妄想する。

 

そうやって

老若男女が混ざり合って

暮らしていけたら

子どもは伸び伸び育って、

働きざかりは

頑張り過ぎないで

仕事と家庭を両立できて、

高齢もずっと元氣でいられると思う。

 

むふふーん

いいなぁー♡

そんなふうに暮らしていきたいなっ

 

美しい未来的・村社会のかたちだ。

 

日本の未来は明るい。

 

エゴ「自分の力で生きる」

以前アメブロで

ガンと向き合う日々と

日常を書いていたことがあって、

https://ameblo.jp/akikodiary135/

折に触れ

見返すことがあります。

 

いつだったか、

なんか私キツいっていうか

強すぎるなぁ…

と思った事があって、

力みすぎるというか。

一生懸命なんだけど。

軽やかでもしなやかでもない

って思ってww

(タイトルが「軽やかにしなやかに、私らしく」)

 

そこを目指すブログだったんだなぁー

と今更ながら思って

なにか少し残念だった。

(ってところも自分に厳しい)

(あの頃だって自然体だった…ある程度。)

 

だけど今、

一体何に力んでたのかが

ハッキリと分かってきて

やっとで軽やかになった氣分です。

 

私は

「自分の力で生きる」という

「自分」を

エゴと履き違えてしまっていた。

 

悲しませたくない

迷惑かけたくない

 

自然に生きるために

誰にも邪魔されたくない。

 

自分の持つ力を最大限に活かすために

自分を守りたい。

 

そうやって

感謝と罪悪感、

感謝と抵抗、

感謝といろんなものを

対峙させてきたように思います。

 

「悲しませない」「迷惑かけたくない」

なんて、他人の氣持ちは

その人のもので

本当のことは分からないのに

自分が不安なばかりに

汲み取ろうとしすぎてた。

在り方として重かった。

 

そして何より

「自分」というものの中の

神性を認めるために生きている

と思っていながら、

神性がエゴにすり替わっていた

恐ろしさよ…

 

※エゴ…自分だけ受け取りたい欲求

 

土下座ものですわ。笑笑

自分に。

 

どんな時だって、

自分でできたって時だって、

人に、

何かに

無償の愛を注がれている

その事を分かっていなかった。

 

感謝の意味を

本当に受け入れた氣持ちです。

 

 

 

ノートに毎日

ありがとうを10個

綴る習慣があって、

 

どんな時でも

あらゆるところに

感謝が溢れていて

書ききれないけど、

 

意識して目を向けるだけで

苦しい日もすこし上向きになる。

 

そんな事を

「魔法のアロマ」コースのクライアントさんと

シェアしているのだけど、

 

今私自身が経験から

とてつもなく大きな氣付きを得ました。

 

すごくすごく

世界が違って見える。

変わっていく自分を

じわじわ感じています。

 

うん、

じわじわする。

 

乾いたところに

沁み入る感じがする。

全部ネタと決めている

経験したことは

全て糧にする

って決めています。

 

どれも私を通せば人生のネタ。

私を通すって

起きる出来事をただ引き受けるだけ。

事前の、ネタにするぞという覚悟と。

(渦中に覚悟は無理。私は)

 

そしたら

辛い事こそ強いエネルギーを持って

同じエネルギーで糧になる。

だから一山超えたなって時の

この糧の素晴らしいこと!!

生まれ変われるレベルで

自分を成長させしなやかに強くする。

もはやお宝です。

 

枯れきった地に

図太い精神が芽吹いていくような感覚。

 

「経験は全て糧にする」

って思っているだけで、

乗り越えたら良いことが起きるんだから

まるで魔法だ♡

 

みんなに勧めたい。

 

どうせ全部ネタなんだから。

あははって笑って済ませられる時が

必ずくる。

クソみたいな経験は

全部お宝に変わるんだ。

尊厳の話

Happy Halloween

 

 

飼い猫を何度も看取っているお友達から

 

猫は死ぬ間際まで

自分でトイレにいくんだよ。

トイレに立たなくなったら

自らの死を悟る感じになるのよ。

 

と聞いて、

 

私は

人の死ぬ時と重ねてみて、

最後の最後まで

トイレは自分でしたいから

猫のようにありたいと

思いつつ。

 

人もトイレにいくのが

難しくなったとき

その時意識がハッキリあるなら

自ら水分を控えて、

トイレの回数を減らし

脱水症状になる。

 

文明で生きている人間は、

体がいうことをきかなくなって

トイレに立てなくなっても

それだけで

死を悟るわけにはいかない。

 

だから、

病院のお世話になる。

 

だけど、

死期が近いとしたら…

 

点滴も水も拒んで、

枯れるように死んでいくのを

自然と選ぶのではないかな。

 

だとしたら、

その時がくるまで

最期の時まで

自分で歩ける体であるために、

やっぱり

体を整えていかなければならない。

 

自らの尊厳を守るために。

 

 

 

ということで、

やっぱり50代からは

筋トレだわ!!と

心新たに決意する私。

 

70代の義母が

トレーナー付きで

簡単な下半身筋トレをしたら

すごい筋肉ついてん!

と喜んでいて、

まじで心から尊敬してます。

 

彼女を目標にして、

まずは今すぐ

ラジオ体操からやってます。笑

 

無かったことにしちゃダメ

不安、

恐れ、

ネガティブな感情は

避けられがちですね。

 

だけど、

避けるからいつまでも残るし、

遠ざけるから余計に増す。

 

そうではなくて、

どんなネガティブも

一旦受け止める。

自然にちゃんと感じる。

 

ネガティブを

ポジティブに変換してはいけない。

(やりがち。けど違う。)

 

そして、

行動という次の一歩にでる。

 

不安を払拭するのは

行動力だけど、

不安を打ち消すように

行動するのは違います。

 

ちゃんと不安を受け止める。

それから行動。大事な事。

 

行動しなければ

変わらないし

自分から行動するから

変わって行く。

それはそうなんだけど、

 

自分の感じていることを

まずは受け止めて。

無かったことにしちゃダメなのよ。

(冬なんて⁉︎信じられない!まだ半袖いける)

 

何かを「感じる」という瞬間を、

私たちはおざなりにしすぎていないか?

とたびたび思います。

 

あーでもない

こーでもないと

頭でっかちになって、

過去のことや

未来のことばかり考えて、

「今」はどこに行ったの?

 

私たちには

今こここの瞬間の

自分しかないのに。

 

おーーーーーい

私ほったらかして

どこ行ってんのーーーー

って体が言ってるに違いない。

 

 

騒がしい周りに

氣持ちも頭も

持っていかれすぎて、

 

なぜ生きるのが

辛くなるのか?

 

なぜ自分が分からない

と思うのか?

 

 

 

 

 

 

 

もっとシンプルになろう。

もっと単純であろう。

 

そう努めるだけで

とても楽ちんになれて、

物事がスムーズに進むのですよ

 

体と心は

いつも一致させとこね。

 

生涯忘れない日々

求めなさい。そうすれば、与えられる。

探しなさい。そうすれば、見つかる。

門を叩きなさい。そうすれば、門は開かれる。

(新約聖書 マタイ7章7〜12節)

 

 

9月某日。

 

不安なまま行動したら

背中を押してもらえて、

その日を境に

私の中の

分厚くなった心の壁が

ガラガラと崩れていった。

 

そしたら目の前には

見たこともない豊かさの世界があって、

それらは私が求める前から

ずっと用意されていた。

欲しがってないのに。

 

だけど求めた途端に

求める以上のものが与えられて、

それ以来

私には関係ないと拒んでいた心が

どんどんと解けている。

 

もう…感謝が溢れて止まらない。

 

闇の中なのに、

いや闇の中で探した光だからか、

強烈な光を放っていて、

私がその時に

たった一つ求めていた感覚を

今これでもかと与えて

包みこんでくれる。

いま、とてもそんな感覚です。

 

感動の感謝が止まらない。

 

生涯忘れない。

 

 

喜んでいい

夫との会話の中で

ふと思い出した

 

数年前、

子育てにおいて

重い責任を感じて、

私はもう二度と

喜んだり笑ったりしてはいけないのではないか

と思ったことがあった。

 

他の理由でもそんな人は、

きっといるんじゃないかな。

 

けどね。

喜んではいけない人

笑ってはいけない人

なんて絶対に存在しないから!

 

と、今なら強く言える。

 

ふと湧いてくる喜びや笑顔を

止めることなんて

誰もしてはならない。

 

咎めることだって

許されない。

 

笑顔は

すべての人が自らで

死守しなければ

ならないものなのだ

満たされる

些細なことから

 

あぁ‥そっか。

ほんとは私こうしたかったんだ‥

 

と10年ががりで

分かったことがあって

(それはまた詳しく書くとして)

 

過去の経験という点と

今の私という点、

点と点を線で結べた。

今やっと繋がって、

自分がほんとはどう感じていたのか

どうしたかったのかが

クリアになって、

 

自分を知るって

満たされる事なんだなぁ。

 

としみじみしています。

 

自分を知るって

自己対話の中だけじゃなくて

 

そう望んで

意識を開いているから

 

些細なことから

不意にホロリと

こぼれ落ちてきたりする。

 

 

これでまた一つ

自分を知れた◎

満たされる◎

安心感だけの世界をつくれる◎

 

生まれ持った優しさ

次男に

アイスクリーム食べる?

って声掛けたら

 

うん。

1人で食べる。

 

って言われたけど、

 

私の分を持ってきてくれた。

 

蓋開けてびっくり

中蓋のシール

外してくれてるじゃないか‥!

なんつー氣遣いのできる人なの!

 

思わず

えええ

っと声が出て感動。

 

生まれ持った彼の優しさよ。