パンパカパーン

2024年11月20日は

時代の流れが

本格的に変わる

大切な日です!

 

私がアストロロジーという

天体の星の動きによって

時代の流れや

自分自身を知るための学問を

勉強しだしてまだ3年ほどで

未熟すぎるけど、

 

古代から今もなお継承される

智慧として、アロマ、マルセイユタロット

そして一番大きなアストロロジー、と

私にとって外せない学問だから、

この変容期は注目してました。

(とはいえ自分を知る事が何より大事なんだけど)

 

どんなに人工的な暮らしになっても

天候の影響を受けずに

生きられる人はいないように

アストロロジーの影響を

受けていない人はいない。

 

「風の時代」という言葉が

あちこちでよく聞かれるけど、

今日2024/11/20から

風の時代が本格スタートした

という事です。

 

今までは「地の時代」。

物質ありき、

優劣がはっきりしていて

努力、根性、野心メラメラ

みたいな時代。

 

新時代の幕開けは少し前で

今日から本格的に始まった

今回の風の時代は

オリジナリティ溢れて

いろんな縛りから解放され

公平で平等

知性でどうにでもなる時代。

 

ちょっと勘違いされやすいけど、

スピリチュアルの時代とは違います。

もっと上面の

頭で考える感じ。

深さはなくかるーい感じ。

 

だから

情報が価値をもつ分

自分がない人は

どこまでも情報に流されて

どんどん自分が何がしたいのか

わからなくなりやすい。

 

だけど、

勝ち負けに価値がある時代

でもないので

良し悪しは自分で決める。

オリジナリティに価値があるのだから。

あなたはあなた。

私は私。

 

そして、

価値観の合うもの同士が

繋がる時代なのです。

同志がいないなら一人で構わない

くらいの、

こうと言ったら譲らない

頑固さも大事。

 

おもしろいのが、

今回の変容期は

グラデーションのように

変わるのではなくて

真逆に一変するところ。

 

徐々に、ではない

248年ぶりの

破壊と再生の変容です。

 

だから痛みを伴うのは

仕方ない。

混沌とした時期も

仕方ない。

いったん全部壊して

新しい世界を作っていく。

 

もう私たちが生きている間は

物質主義の時代には

戻りません。

 

若い人たちを見習って

インターネットを活用して

自分のしたいことを

軽くやってこー

努力も根性も

自分のフィールドにだけ。

 

魚は走れないし、

チーターは海の中で呼吸できない。

 

今までは

それを強いられてきた。

 

でもこれからは

私は私の好きなフィールドで

生き生きと動き回る。

 

そゆこと。

 

いざという時

先日、

肝心な時に

ベストを選べるかどうか?

という話をしていました。

 

親の介護という選択において

限界かどうかの瀬戸際。

 

あるいは

 

子どもの入試直前

しんどい時だけど

とても大切な授業もあって

学校を休むかどうか。

 

今の選択が

長い将来を決めるとしたら…

 

きっと誰だって

外したくない。

そして

選択は容易じゃない。

 

どうするか?

いざという時に

どうしたら

後悔のない方を

選べるのか?

 

その時は

答えが出なかったのだけど、

 

あとから

当たり前だな。

と自然に思えたその答えは

 

 

肝心な局面の選択は

日常の選択の

繰り返しの成果だということ。

 

 

 

毎分のように

日々何万回も繰り返している

ごく個人的で些細な選択から

常にベストを尽くしているのか?

というところに尽きる

と思うのです。

 

例えば、

いつも言うのは

トイレは行きたい時に行く!

これができない人は

幸せではあれない。

(私は「トイレ行きたい」が言えない子でした)

 

体の欲求を満たす事は

幸せのための初めの初めの一歩。

寒かったら暖かくする♡

 

例えば,

子どもが小さい頃から

ずっと言い続けていたのは

 

〇〇いいやー

と選ぶのではなく

〇〇いい!

とベストを選んでね。

 

という事。

 

消去法の生き方は

そこそこでしか

満たされない。

そこそこ満たされる人生

でいいのかな⁈って事。

自分の愛する人が

「そこそこ幸せな程度の人生でいい」

と言ってるとしたら

どう思うか?って事を考えてみてほしい。

 

少なくとも私は

幸せいっぱいの人生を送ってほしい。

自分の事以上にそう願う。

 

 

私たちは

言葉で自分を誘導しているから、

言葉の使い方って

本当に大切なのですよね。

 

話しは逸れるけど、

最近氣をつけよう!

と思っているのが

品よく話そう、

と言う事です。

特に自分の脳内で。

男の子ママを引きずって

男っぽい話し方が板につきすぎて

(要は口が悪い)

もうすっかりいい大人なのに

恥ずかしいことだわ、

を省みております…

 

 

話は戻って、

毎日の些細な選択から

見直していけば、

いざという時も

後悔しない。

 

毎日が本当の

心地よい感覚をベースに

行動できてたら

いざという時への

安心の貯蓄にもなるんだよね。

 

 

 

 

私は今

絶対に我慢しない

という事のトレーニングをしていて笑

 

痛い目にあって懲り懲りして

もう我慢しないぞ

って思ったのに、

 

実は懲りてなかったみたいで

無意識のうちに

もっとひどく我慢してた

という経験があって、

 

深く反省して三度目はないからね!

って戒めてるところです。

 

この「無意識」ってのが

クセモノで、

だから意識にあげることが大事で

 

忘れないように

言葉で耳から入れるように

事あるごとに誰にでも

「私は我慢しないトレーニング中」

って伝えてます。

 

そう言うのも大事◎

 

とにかく

細かく日常を満たしていくことが

すべてって感じてる◎

グッバイフォーエバー

意外!!

とよく言われるのだけど、

私はショッピングに行くと

迷って決められず

一週間でも迷ってられるタイプです。

 

今はそんでもないかなぁ

(今は良いと思ったらネットでも即決)

 

 

そんな性格を

優柔不断だわー

と自分を認められなかったり

迷いのないお友達に憧れたり

な時もあったけど、

 

すっかり大人になって、

選ぶものに悩まない人や

そもそも悩むほど

好みが広くない人

いろんな人たちにであって

 

うーん寂しいし、つまんないな…

私はそうなりたいわけじゃない。

と自分の「好み」に氣付きました。

 

そっかー!

私、悩む時間がすきなのね。

この時間を好きで選んでるんだ、と。

 

そう氣付いたら

やめたくなった時に

すぐにやめられる。

 

不思議なもので、

根底では好きでやってる事も

自分以外の価値基準に

氣持ちを奪われて

自分を認められずにいると

「好き」が「無駄」「劣っている」

にすり替わる。

 

こうやって自己肯定感が更に低くなる。

 

(どうしてやめられないんだろう…って悩んでる時は、氣付けてない。根底では好きでやってる事に)

 

 

二人の息子、

長男は見事に私と同じタイプで

悩みに悩みたい性格。

 

次男は

秒で決断して

決めたものを溺愛できる人。

 

すごいなって思うのは

 

長男は

「すぐ決めたらもったいない。

悩む時間が楽しいんや」

って自ら言ってるし、

(わかるーー by私)

 

次男は

「悩む意味がわからない」って

お店を一周して

2周目には選んで買っちゃう。

(男らしいが物足りない by私)

 

 

誰かと比べたりしないのだ。

 

どちらも素晴らしいのだ。

 

自分基準でいいのだ。

 

そして、

やっぱり子どもは

親の進化系なのだ。

 

 

 

 

先日私の父親が

他のことで

この二人を絶賛していて

 

なんでこんな立派なんだ。

子どもっていうのは

親よりも劣っているもんじゃないのか。

 

っていってたww

 

聞いてた私は

 

何言ってんの

かわいらしいな!

 

って心の中で吹いた笑笑

 

そういう前提のもと

私や弟が育ったのね。

それを乗り越えて今があるのね。

 

 

時代の変容に感謝。

 

古い価値観よ、グッバイフォーエバー。

 

 

 

 

それにしても

何者でもないけど前途洋々な

若さ全開の息子らは

成長するにつれ

親にも祖父母にも

いつもいつも大絶賛されて

なんて幸せな環境に生かされてるんだろうな

って思う。

 

親が絶賛してると

周りもそれに

つられてくるような氣もしている。

 

けど、叱らない育児

というのには反対派です。

締めるとこは

ビシッと締めとかないとね!

 

あるいは

自分の価値観だけで

子どもが良い人生を歩めると

信じて疑わないのも

いかがなものか。

 

全てはバランスだ。

 

アロマの奇跡

少し前のことだけど、

 

8月と9月は

学びのために東京に

何度か通っていて、

 

その中で

アロマを使った瞑想の時間が

ありました。

 

うちのサロンでも

良く行う、

テーマを決めて

何本か好きなアロマを選んで

じっくり嗅いでいく

瞑想タイム。

 

その時に

私が受けたアロマ瞑想は

テーマが決まっていて

「今後のビジョン」

というようなものでした。

 

私はとても疲れていて、

なんとか東京には来たものの

肉体の苦痛に引きずられた一週間を

すごしてきて、

ポジティブになんてなれないし

ビジョンとかほんと無理……

 

そもそも

良い香りー♡とも感じられない…

 

という今まで経験したことのない

最悪なコンディション状態での

不安しかない瞑想の始まり。

 

手順は

4本のアロマを

1本ずつ手に取って

数分嗅ぐ、

それだけです。

 

今、良い香り♡にもならない

そのアロマを手に取って

嗅いだ瞬間…

 

なんとなんと

取り巻く世界が

激変したんです!!!!

 

自分のもつ壮大なビジョンが

一氣にぶわーーっと

繰り広げられて

もうびっくり。

 

こんなことが好きで

あんなことを守りたくて

こんな世界が見たくて

あんなことしたいんだー♪

 

ってキラキラと

夢を語りだす

私の内側。

 

こんなに世界が一変すること

あるの⁈

現実はなにも変わってないのに。

 

ただアロマを手に取って

嗅いだだけなのに!!

シンジラレナイ!

 

2本目、3本目、4本目

とそれぞれ

いろんなビジョンを見せてくれて

終わった頃には

私はキラキラとした氣持ちで

いっぱいでした。

 

辛いばっかりだったこの肉体に

心の底からありがとう

って感じていたことにも、

ほんとに驚いた。

 

ネガティブにしか

感じられない一週間だったのに。

 

 

 

やーーーー

アロマってすごいね!!

 

今もなお

こんな感動体験を

させてもらえる事が

本当にありがたくて、

最高に嬉しい時間でした。

 

はー

来た甲斐あったーー

って毎回おもうんだけど、

今回もすごかった。

 

また自信を持って

アロマをお伝えできるための

素晴らしい経験ができました。

 

アロマの感動体験、

最初は

体の変化。

心の変化。

そして魂レベルへ。

 

どこまでも

私を磨いてくれるもの。

本質の一つです。

村社会ダイキライ

典型的な核家族で育った私は

近所付き合いや

友達付き合いも

親戚付き合いも

ほとんどしないような

両親に育てられました。

 

それが当たり前だったから、

村社会で代々

受け継いできた家系の

主人と結婚した時は

互いに、外国⁉︎ってくらい

カルチャーショック。

 

味噌が大豆、米から育てて手作りとか

自家製の米や野菜が届くとか

おはぎが手作りのもの

(もちろん小豆と米の栽培から)

なんて、心底びっくり!!

 

全部買ったものしか知らない!!

 

しかも人の出入りが尋常でなく

開けっぴろげなのもあり、

玄関に限らず、

キッチン横の窓から、

裏の勝手口から、

家族用玄関から、

表玄関も、

どっから誰が入ってくるか

わからない。

(野良猫が走って逃げたり、

燕が飛んでたこともあった)

 

早朝から深夜まで

好き放題突然誰かが入ってくる。

喋りにきてるのか、

何かを持ってきたのか、

目的もわからない。

 

当時の世間知らずの私からしたら

まったく氣の休まらない

とても恐ろしい家だったww

カルチャーショックすぎて

泣いてたこともあったww

 

若かったのもあって

最初は抵抗して、

プライバシーないってどうなの

失礼だなぁ

なんで許してんの⁇

それもイヤ

って理解できなかったし、

 

野菜は買った方が便利じゃない?

とか

手作りおはぎってなんか見栄えが…

とか

手作りのあれこれも

美味しいとさえ思えなかった。

 

いずれはこんな田舎で私も

ガチャガチャと住む時がくるなんて

考えたくもなかったし、

想像もつかなかった。

 

これが一番避けたい事だった。

 

だから

米も野菜も手作りも

全部避けたかった。

 

そんな20代前半でした。

 

 

それが今や、

こっちが私にとっての自然。

としっくりくるくらい

180°、物の見方、住む世界が変わった。

 

柔軟性があったとか、

時間と共に馴染んだ、

というよりも

私の魂が

そういう環境の人を選んで

結婚したんだなぁ

と感じています。

 

自分で育てたり

作ったりしたものを

食べてるって

この上なく贅沢だし、

 

人の出入りが賑やかって

すごくいいなぁって思う。

 

そんなふうに

安心できる自分の世界を

作ることができた。

 

そう、昔は

新しい世界に

安心できなくて

不安でしかたなく

全部に抵抗していた。

 

私は年齢を重ねて、

親になり、

社会も大きく変わった。

 

いろんなことが

時間と共に

変わっていく。

それはとても美しいことだと思う。

 

造花よりも生花が美しいと思うのは

生花には命があるから。

(満開になった和バラの横でチリチリに枯れた葉っぱ)

 

枯れたり、

蕾が咲いたり

咲かなかったり、

(蕾は咲いたけど花びらが育ってなかったね)

 

様々な変化は

命あるものだから。

どんな命も、美しい。

 

私自身が、

 

生まれ育った環境が

必ずしも自分に合ったものとは

限らない。

 

という実例です。

 

 

親はもしかして

子どものことを

ほんとに何も知らないかもしれない。

 

子どもは

本当の自分に

まだ氣づけてないかもしれない。

あるいは

まだ認められていないのかもしれない。

 

それらも

たくさんの人と関わることで

超えていけることだと思う。

 

 

 

新しい村社会のような

コミュニティを作って

暮らしていきたいなって

夢があるなんて、

 

若い頃の私に言ったら

吐きそう笑笑

 

たくましくなった

51歳の私は

そんなことお構いなしに

 

若い頃って世界が狭くてかわいそうやなー

たくましく生きろよ!

 

とか言って

夢の暮らしを語り続けるんだ笑笑

 

 

未来的・村社会

素敵なお花をいただきました。

秋のお花がいっぱい!

コスモス、見たいなって思ってたのよ。

幸せーーーー

生の花?

 

え?造花⁇

 

見る人見る人

そう言うもんだから

え?生花だよね⁈

って私が心配になる。笑笑

 

生花です!

和バラがかわいい♡

ペンペン草とか

紅葉した葉っぱ、

鶏頭も秋色。

いろんな花や実や草や枝物。

ごちゃまぜが最高。

 

 

 

 

将来的に

こんなふうになったらいいなー

って思う社会の形があります。

 

それは

氣の合う人たちが

助け合って

いろんな年代もごちゃ混ぜで

生活する、というもの。

 

血のつながりにとらわれない、

地域とかでもない、

心のつながりのコミュニティ。

 

で、課題になるかなと思うのが

女性は特に

手助けするよー

って人はいっぱいいるけど、

助けてーーって

すぐ言える人はなかなかいないのでは

ということ。

自分で頑張っちゃう。

頼る境目を判断するのが

なかなか難しいんじゃないかな。

 

私は今、

助けてーって言って

助けてもらってばっかり

というのを体現させてもらっていて、

 

ありがたいことに

助けてって言えば

いくらでも

助けてもらえる環境にあるから、

それを受け入れるように

自分を許して許して許していくことが

大切だなって

思っています。

例えば子どもも、

誰かが育てたらいいって

なったら

すっごく良いと思う。

 

どんどん産んでねー

私ら面倒見るから

って。

そんな信頼関係が

若い人たちと築けたら

最高だな!って妄想する。

 

そうやって

老若男女が混ざり合って

暮らしていけたら

子どもは伸び伸び育って、

働きざかりは

頑張り過ぎないで

仕事と家庭を両立できて、

高齢でもずっと元氣でいられると思う。

 

むふふーん

いいなぁー♡

そんなふうに暮らしていきたいなっ

 

美しい未来的・村社会のかたちだ。

 

日本の未来は明るい。

 

エゴ「自分の力で生きる」

以前アメブロで

ガンと向き合う日々と

日常を書いていたことがあって、

https://ameblo.jp/akikodiary135/

折に触れ

見返すことがあります。

 

いつだったか、

なんか私キツいっていうか

強すぎるなぁ…

と思った事があって、

力みすぎるというか。

一生懸命なんだけど。

軽やかでもしなやかでもない

って思ってww

(タイトルが「軽やかにしなやかに、私らしく」)

 

そこを目指すブログだったんだなぁー

と今更ながら思って

なにか少し残念だった。

(ってところも自分に厳しい)

(あの頃だって自然体だった…ある程度。)

 

だけど今、

一体何に力んでたのかが

ハッキリと分かってきて

やっとで軽やかになった氣分です。

 

私は

「自分の力で生きる」という

「自分」を

エゴと履き違えてしまっていた。

 

悲しませたくない

迷惑かけたくない

 

自然に生きるために

誰にも邪魔されたくない。

 

自分の持つ力を最大限に活かすために

自分を守りたい。

 

そうやって

感謝と罪悪感、

感謝と抵抗、

感謝といろんなものを

対峙させてきたように思います。

 

「悲しませない」「迷惑かけたくない」

なんて、他人の氣持ちは

その人のもので

本当のことは分からないのに

自分が不安なばかりに

汲み取ろうとしすぎてた。

在り方として重かった。

 

そして何より

「自分」というものの中の

神性を認めるために生きている

と思っていながら、

神性がエゴにすり替わっていた

恐ろしさよ…

 

※エゴ…自分だけ受け取りたい欲求

 

土下座ものですわ。笑笑

自分に。

 

どんな時だって、

自分でできたって時だって、

人に、

何かに

無償の愛を注がれている

その事を分かっていなかった。

 

感謝の意味を

本当に受け入れた氣持ちです。

 

 

 

ノートに毎日

ありがとうを10個

綴る習慣があって、

 

どんな時でも

あらゆるところに

感謝が溢れていて

書ききれないけど、

 

意識して目を向けるだけで

苦しい日もすこし上向きになる。

 

そんな事を

「魔法のアロマ」コースのクライアントさんと

シェアしているのだけど、

 

今私自身が経験から

とてつもなく大きな氣付きを得ました。

 

すごくすごく

世界が違って見える。

変わっていく自分を

じわじわ感じています。

 

うん、

じわじわする。

 

乾いたところに

沁み入る感じがする。

全部ネタと決めている

経験したことは

全て糧にする

って決めています。

 

どれも私を通せば人生のネタ。

私を通すって

起きる出来事をただ引き受けるだけ。

事前の、ネタにするぞという覚悟と。

(渦中に覚悟は無理。私は)

 

そしたら

辛い事こそ強いエネルギーを持って

同じエネルギーで糧になる。

だから一山超えたなって時の

この糧の素晴らしいこと!!

生まれ変われるレベルで

自分を成長させしなやかに強くする。

もはやお宝です。

 

枯れきった地に

図太い精神が芽吹いていくような感覚。

 

「経験は全て糧にする」

って思っているだけで、

乗り越えたら良いことが起きるんだから

まるで魔法だ♡

 

みんなに勧めたい。

 

どうせ全部ネタなんだから。

あははって笑って済ませられる時が

必ずくる。

クソみたいな経験は

全部お宝に変わるんだ。